跳ねた髪 大事な時 笑う癖

ずっとずっと、だいすき。

舞台「カラフト伯父さん」

自分勝手な考察を書き記しただけの自分用メモです。
ネタバレオンパレードですので、未観劇
の方はお戻りいただきますようお願い申し上げます。








カラフト伯父さん、観劇してまいりました。
役者•伊野尾慧の初舞台。
伊野尾くんからの嬉しそうなメールで告知というジャニヲタ的にもなかなかない始まり方をしたこの舞台。
正直、何事もなく終わればいい、伊野尾くんが悔いなく終われればそれで、クオリティは問わないから、なんて思っていた自分が恥ずかしいです。

伊野尾くんは、徹くんっていう一人の男の子の人生を生きてた。

途中、完全に伊野尾くんにみえるところもあったんだけど、それは徹くんとしての笑顔であって振る舞いだった。
ネイティブから言わせればエセなのかもしれないけれど、違和感のない、かわいい神戸弁。くるくる変わる表情。そして、5幕の慟哭。徹くんの苦しみが伊野尾くんの高くて絞りだすようなこえで聞こえてきて、2回目観劇でしたがすすりなかずにはいられなかった。

もう全体通してのストーリーや感想は並み居る書き手様たちが書いてくださってるとは思うので、わたしは気になったところを過剰書き程度に。
無責任な考察入りますので苦手な方はカムバック。





◻︎僕らは何を失ったんだろう
2回みて、なんとなく、「繋がり」かな、と思いました。
人の匂いの、人の気配のしなくなった街。そこでただ一人、仕事場のメッキ工場以外には出掛けず油まみれの鉄工所で自分を責めながら生きる青年。
出版社を潰し、借金取りから逃げ続ける50過ぎの男。
前の男の子供を妊娠し、消費者金融で出会った男とその日暮らしの旅をする元ストリッパー。
この3人、人との繋がりがないんです。全員1人。徹と吾郎には血、っていう繋がりしかない。親権者ではないから。
徹は地震で街の人との繋がりをなくした。吾郎は会社を潰して逃げ回ることで人との繋がりをなくした。仁美は妊娠して仕事をなくして人との繋がりをなくした。そんな3人の物語。だから、あの日僕らが失ったもの、それは繋がり、なのかなって思った。
記録のための演劇。現代に生きる私達が失ってしまった、人との繋がり。交流。そんな所が、テーマの一つなのかもしれません。

◻︎徹
地震が起きたのが1995年、その2年後の育ての父親が亡くなった時が20歳。ということは劇中の2005年2月は28歳前後。母親をなくしたのは小学生くらい?
97年(18歳)から7,8年もの間一人きりで生きてきている。青年期を人との関わりを持たずに過ごした彼は精神年齢が幼く、甘いものを好み、酒や煙草はやらない。女性への興味自体が極めて薄い。人との関わりを持とうとしない、寂しいという感情を忘れている。人を馬鹿にしたような笑い方をするし、ぶつけるような話し方をする。攻撃以外の選択肢を持たない。
仁美に少しずつ心を開いてからは、仁美から語られる女性、に少し興味を持ち始めるし、普通に照れる。

◻︎鉄工所
徹にとって、鉄工所は自分を責め続ける檻、かつ自分を守るバリケード地震のことを忘れてはいけないから、屋根の補修はしない。自分を責めながら、夜は冷たい檻のような軽トラの中で眠る。

◻︎ラジオ
徹にとっての唯一の外の情報源。ただ、一人きりに慣れている徹にとっては雑音でしかないときもある。人の気配のしない、音のない鉄工所で生きる徹は、仁美が携帯電話で外の他人と大声で喋っているときに、うるさい、とカメハメ波を向けている。
最後の方のシーンで、一度消したラジオを、シーンとした鉄工所を見てまたつける徹は、人との繋がりを求め始めたことの現れなのかも。

◻︎カレンダー
かかっているのは2005年1月。吾郎たちが来た日の6日後の25日が給料日、その次の日が日曜、ということからこの舞台は2005年2月19日から始まる物語であるということがわかる。
ここでも、鉄工所の時は止まっている。

◻︎毛布
赤い、薔薇の模様の毛布。必ず薔薇の模様の面をこちらに向けて徹くんがくるまる。毛布は自分を守る鎧で在ると同時に、母親の象徴、かなぁ。

◻︎徹と仁美
青年期を一人きりで過ごした徹にとって、はじめてきちんと意識した女性。初めは戸惑いと拒絶を向けるが、からりとした仁美の性格に、打ち解ける。徹は仁美に対して、母親への憧憬のような女性への欲望のような入り混じった感情を持つのかも。だから、妊婦である仁美のために名前を抜いた椅子をつくるし、お腹の子供を心配するし「あんたさえよければここにおっても」とか言ってみるんだけど面倒見てくれる?という質問にはええ〜、と狼狽える。元の生活に戻るだけや、と強がる徹くん、やっぱり寂しい、という感情にみえる。
 
◻︎徹と吾郎

ガキの頃、あんたはヒーローやった。頭のええ、なんでもしっとう。(ニュアンス)

ヒーロー。ピンチのときに助けてくれる存在。徹にとって、カラフト伯父さんは神様のような存在だったのかもしれない。でもその神様は、徹がそばにいて欲しいとき、いくら呼ぼうが祈ろうが、徹の近くにはいてくれなかった。来てくれなかった。あんなに呼んだのに。カラフト伯父さん。カラフト伯父さん来てください。今すぐ助けに来てください。
そのうちに徹にとって神様であったカラフト伯父さんは、口も聞きたくない、顔も見たくない、憎むべき相手になる。そうしないと生きていかれなかったから。
俺が1人になったのは、カラフト伯父さんが助けてくれなかったから。カラフト伯父さんを憎んでいるから、俺はただ一人。そんな風に絡まった思考の中で、長い長いときの中で、そうしないと自分を保っていられなかったのかもしれない。

でも、心の何処かでカラフト伯父さんに会いたかった、許したかったのも徹の気持ちだと思う。でも、時の止まった鉄工所の中で、そうするきっかけも勇気もなく、彼は自分に言い訳をしてときを止め続けて来た。

だから、徹の檻でありバリケードである鉄工所に入って来られては困るのだ。徹は1人じゃなきゃいけないし、これは地震で1人生き残った罰なのだ。カラフト伯父さんを許したいけど、許してはいけない。だから、徹はカラフト伯父さんを徹底的に拒絶した。自分を保つために。

5幕で徹は心を開いて怒りを吾郎にぶつける。あの時来てくれなかったじゃないか。おどれはいっつも自分のことばっかりや。
灯油缶や荷物を投げ飛ばしながら叫ぶ徹は、悲痛な叫び声のようにも、高校生の反抗期のようにも見えた。
子供時代に母をなくし、人格者であった育ての父の元で育った徹は、反抗期らしい反抗期もなかったのかもしれない。そもそも優しい彼は、血の繋がりもない父親に我儘なんて言えなかったかもしれない。
本当は、実の父親に甘えたかっただけかもしれない。子供みたいに叫んで、大丈夫だよって、ただ抱きしめてほしかっただけかもしれない。そんなことを、5幕を思い出しながら感じました。


◻︎徹と千鶴子
そもそも徹は母親がだいすきだったわけではないのかもしれない、論です(笑)
吾郎にして考えれば千鶴子は離婚した元妻だけど、幼い頃の徹にして考えれば千鶴子は自分からカラフト伯父さんを遠ざけた張本人。
あの人はどこから来るの?遠い遠い所よ。遠い遠い所ってどこ?カラフトよ。
…なんでそばにいないの?お父さんじゃないの?
…カラフト伯父さんだから。カラフト伯父さんは、徹が困った時、きっと助けに来てくれるわ。
そんな会話があったかもしれない。

徹からは、カラフト伯父さんはヒーローだった、っていう話が語られる。吾郎からお父さんはいいひとだった、というひとことがある。でも母親の千鶴子の話は、舞台を通してあまり出てこない。もちろん大切な母親だっただろうけど、だいすきだったお父さん(と自分)を捨てて新しいお父さんと結婚したひと、っていう想いがなかったはずはない、と思う。だから毛布が母親の象徴だったとするならば、あれすらも徹を苦しめるものの一つでもあったかもしれない。
しかし、吾郎の口からは千鶴子との約束、が語られる。

貴方と会えてしあわせだった。だから、徹にもしあわせ、分けてあげてね。ほんたうのさいわい、教えてあげてね。

この一言は、千鶴子から吾郎への遺言である。この一言で、吾郎は親権を取りもどす(とまで言うと過言ではあるが)。
吾郎の口から、千鶴子は自分を捨てたわけじゃなかった、と語られるのだ。
このこともあって、6幕で徹はカラフト伯父さんを悪者にして作っていた檻から、自分を雁字搦めにしていた毛布からも脱出する。だから、自らの手で赤い薔薇の毛布を干して、
「カンパネルラ、天井には辿り着けたんかー?」と呼びかける。「天井には辿り着けたんか。」ほんたうのさいわい、見つけられたんか、ではない。

宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」では、カンパネルラは妹のとし、ジョバンニは賢治自身ではないか、という説があるが、わたしは、(あくまでわたしは)
カンパネルラは母親なのではないかと思う。
カンパネルラ、天井には辿り着けたんか?
おかあさん、どこにいるん?
おかあさん、元気ですか?

◻︎終わりに
5幕から6幕までの徹くんの表情のかわりっぷり、というか人のかわりっぷりはすごいんだけど、(結構時がたっていて、でも劇の中ではすぐ後だから気持ちのもっていき方が難しい、なんて話をしていたが)カラフト伯父さんのことを許せて、おかあさんのことも許せて、自分のことも許せたから、徹くんの時が動き出したんだとおもう。だから彼は自分の意思で、車を出す。前進、後退!


長々ご覧いただき有難うございました…いろいろ書きましたがとりあえず伊野尾くんに、こんな演者の技量に寄った作品が与えられたことが誇らしいし、それをこちらの期待も満足もどんどん超えてくる伊野尾くんがだいすきです。
舞台は生ものとはいいますが一回ごとに驚きを更新してくる伊野尾くん…
昨日は点かないストーブをいきなりがばりと抱きしめたり。あと毎回仲良しになって行く仁美徹かわいいかよ…座るでー?って座らすとこもかわいいし
(お化け)おれも『にがてー!!!』とか最高に可愛い。可愛いよ伊野尾くん!

わたしの観劇はあと一回。GWのあと、さらに成長したいのおくんを噛み締めたいと思います。

悪筆失礼しました、読んでいただき有難うございましたー!!!